甲子園と不動産と神戸湊川不動産

甲子園。

それは全ての高校球児の夢といっても過言ではない憧れの地。
多くの高校球児たちが甲子園に出場することに全野球人生を賭け、それだけを見つめて日々死にもの狂いで練習している。
そしてそんな念願が叶って甲子園の舞台に足を踏み入れることができた彼らの死闘や想いに、私たちは毎夏感動させられる。

 

そんな甲子園を見ていてふと疑問に思ったことがある。
なぜこんなに延長や奇跡の逆転劇が多いのだろう?と。

 

結局1番の理由は「想い」の大きさであるということに気づいた。

 

彼らにとっては負けたら終わり、甲子園という地に立てるのは人生で最後の機会かもしれない。全員が全員「ここで終わるわけにはいかない、少しでも長くこのメンバーと野球がしたい」という強い気持ちを持っているのだ。
そのためどんなに不利な状況であろうとも最後まで勝利を諦めない強い気持ちがあるからこそ、奇跡の大逆転劇が生まれるのである。

 

もちろんプロ野球選手も生活がかかっているし、活躍できなければクビになる可能性もある、なにより職業にするほど打ち込んできた好きなことをやっているのだからから生半可な気持ちではないはずである。
しかし、1試合負けたからといって即クビというわけではない。
基本的には年棒契約であり、今回の試合に負けたとしても次の試合の予定がある。

 

負けても次があるプロ野球選手と、負けたら一生立つことができないかもしれない舞台にいる高校球児。

その危機感と1試合に対する想いの強さが、毎年ドラマを生むのだと思う。

そしてそんなことを考えていると、仕事についても同じことだと感じる。

会社に就職し、仕事をするうちに要領を掴んできて、お客様の条件に合うご案内ができるようになる。
1件1件の案件を大切に思っているのは当たり前のことだが、果たしてどれだけの不動産業界の人間が、「この家を案内することがお客様を人生単位で変える可能性がある」という覚悟を持って案内をしているのかと思う。

 

不動産の知識がないお客様がプロの元を訪れるのは当然のこと。
そしてプロとして仕事をしている以上は、その方に対して最もいいと思われる物件を案内するのも当たり前のこと。

 

人間は、数をこなすうちに必ず慣れが生じる。
それはスムーズに仕事をこなすうえでは必要なことではあるが、同時に住む家は人生そのものであり、そんなお客様の人生に関わっているのだという意識も薄れてしまっているのではという危惧が脳裏によぎる。

 

私たちはプロ野球選手になってしまっている人が多いのではないか、
高校球児のように1件1件本気でこれがだめだったら人生終わるくらいの気持ちで挑めているのか、と。

 

仕事しかり恋愛しかり1つのことに対して当初と同じ熱量を保ち続けるというのはとても大変なことである。
しかし、暮らす場所を提供したり、共に人生を歩んできた大切な家を売却するお手伝いをするということは、その人の人生に関わるということである。
何年経っても何件の案内を経験しても、1人1人の異なる人生に向き合うからには、いつまでも高校球児の気持ちを持ち続けることは不可欠なことだと思う。

 

案件が決まらなければ自分のキャリアが終わりだという意味ではなく、その案内がお客様にとって最良の選択ではない可能性への危機感を常に持つべきだということ。

 

多くのお客様と接し、たくさんの物件を案内していく中で経験値は高まっていく。それと同時に必ず慣れの気持ちは生じてくるもの。
これはどの仕事においても言えることではないだろうか?

 

しかし私たちが扱うのは人生の一部である、住まいである。
賃貸であれ売買であれ、お客様が1日あるいは人生の大半を過ごす大切な場所を提供する責任のある仕事である。

 

いつまでもその責任感を忘れずに、「一球一魂」精神を持ってお客様にとってストライクな提案をし続けたい。