兵庫区歴史街道~兵庫津入門~神戸湊川不動産
兵庫県の名前の由来ともなった兵庫区。兵庫区に住んで兵庫区で商売をしている割に兵庫区の歴史を知っていなかったなと思い、兵庫区歴史街道をブログで発信しながら学んでいこうと思いました。
早速ですが、『兵庫津』どのようにむかご存知ですか?【ひょうごのつ】と読みます。『三宮』さんみやではなく【さんのみや】『平清盛』たいらきよもりではなく【たいらのきよもり】と同じで、漢字3文字の間に「の」が入ります。
兵庫区の沿岸部分は国内的にも重要な港として栄えてきました。「大輪田泊(おおわだのとまり)」を平清盛が平安時代に大改修し日宋貿易の拠点でした。鎌倉時代には「兵庫津(ひょうごのつ)」と呼び名が変わり日本国内で最も大きな港に成長。【兵庫島】【兵庫経島】とも呼ばれたそうです。江戸時代には西回り航路の拠点となり、幕末には日米修好通商条約において新潟・長崎・神奈川(横浜)とともに開港場に指定されました。
そして1868年、明治新政府は地方を「府県藩」に分けます。この兵庫津周辺、切戸町の兵庫城に県庁が置かれました。このとき「兵庫県」が置かれ、1871年の廃藩置県などを経て、兵庫県は現在のような形へと移行していきます。この時に初代兵庫県知事として就任したのが後に初代総理大臣となる伊藤博文です。
歴史が点在する史跡を結ぶ「兵庫津の道」実際に現地を回り歴史に触れていきたいと思います。